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人生朝露

人生朝露

李白の逆旅と芭蕉と荘子。

悪かったわね!
荘子です。

もうすぐ春、ということで、次なる荘子読みは・・

李白。
詩仙・李白(Li bai (701~762))であります。

参照:Wikipedia 李白
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%8E%E7%99%BD

李白の『春夜宴桃李園序』は、古くから日本人に愛されている作品ですが、この冒頭、

「夫天地者萬物之逆旅 光陰者百代之過客 而浮生若夢爲歡幾何」
→天地は万物の逆旅であり、光陰もまた永遠の旅人である。浮生は夢のようであり、その儚い間の楽しみとはいかほどのものか。

参照:漢詩と中国文化 春夜宴桃李園序:李白
http://hix05.com/Chinese/Libai/libai3/libai326.shunnya.html

芭蕉。
これは、『奥の細道』の「月日は百代の過客にして、行きかう年もまた旅人なり。」の有名な元ネタであります。実は、『奥の細道』よりも10年前に出版された、井原西鶴の『日本永代蔵』に「されば天地は萬物の逆旅。光陰は百代の過客、浮生は夢幻といふ。」とはっきりとありまして、先に使ったのは西鶴なんですよね。

『奥の細道」の有名な平泉での一節、「国破れて山河あり、城春にして草青みたりと、笠打敷て、時のうつるまで泪を落し侍りぬ。夏草や 兵どもが 夢の跡」。この元ネタは、言わずと知れた詩聖・杜甫です。

杜甫や李白が生きた唐の時代というのは、道教が体系化された時代でして、玄宗の頃に荘子は「南華真人」、書物としての『荘子』も『南華真経』と呼ばれるようになっておりまして、杜甫や李白も当然荘子を読んでいるわけです。李白にいたっては、道士の修行も受けていますので、『春夜宴桃李園序』でも「天地」「万物」「大塊」と、荘子ではおなじみの言葉がでてきます。

重要なのは、「逆旅」、「浮生」です。
Zhuangzi
顏淵問乎仲尼曰:回嘗聞諸夫子曰「無有所將、無有所迎。」回敢問其遊。仲尼曰「古之人、外化而内不化、今之人、内化而外不化。與物化者、一不化者也。安化安不化、安與之相靡、必與之莫多。希韋氏之国,黄帝之圃、有虞氏之宮、湯武之室。君子之人、若儒、墨者師、故以是非相也、而況今之人乎。聖人處物不傷物。不傷物者、物亦不能傷也。唯無所傷者、為能與人相將迎。山林與。奉壌與。使我欣欣然而樂與。樂未畢也、哀又継之。哀樂之來、吾不能禦、其去弗能止。悲夫。世人直為物逆旅耳。夫知遇而不知所不遇、知能能而不能所不能。無知無能者、固人之所不免也。夫務免乎人之所不免者、豈不亦悲哉!至言去言至為去為。齊知之所知、則浅矣。(『荘子』知北遊 第二十二)
→『顔淵は、孔子に問うた。「先生は、『過去の事象に囚われず、未来を思い悩むこともない。全ての変化に応じて、引きとめることもない。【将(おく)らず、迎えず、応じて、蔵せず】』とおっしゃっていましたが、どういう意味ですか?」孔子はこう言った。「古の人は、外の世界の変化に順応しても、内面の変化はなかった。ところが、今の人は外の世界の変化に応じて、内面まで変えてしまう。しかし、そうやって内面を変えたところで、無常の世界に順応しているわけでもなく、外の世界とかみ合わなくなる。(中略)世の儒者や墨者を見れば、是非の判断にとらわれて非難の応酬をするばかりだ。まして、今の世俗の人々など、ひどいものだ。(中略)山林に入り、草原を逍遥すれば、美しい景色に心を奪われ、楽しい心持ちになるが、その気分がおさまらないうちに哀しい気分が湧き起こってくる。その変化を留める事もできない。悲しむべきことだ。世の人々は、外物の「逆旅(仮の宿)」に過ぎない。出会うことのできる範囲でしか知ることはできず、出来ることの可能性の中でしか生きることはできない。知ることができる力も、することができる力にも限界があるのは、人の免れえぬところだ。さかしらな知識や、力へのうぬぼれで、それを越えようとする人のありようは、悲しむべきことではないか。至高の言葉は言葉を捨て去り、至高の行いは行いを捨て去る。知るということを知らずして全てを知った気でいるのは、浅はかなことだ。

「逆旅(げきりょ)」が途中にあります。この場合の「物(外物)」というのを「情報としての現象」とすると、「脳」について語っているようにも、読めないですか?

参照:湯川秀樹 創造的人間:東洋的思考から理論物理学へ
http://www.youtube.com/watch?v=CqNPmXouwqc&feature=related

参照:当ブログ 湯川秀樹と荘子 その2。
http://plaza.rakuten.co.jp/poetarin/5009

Zhuangzi
「去知與故、循天之理。故無天災、無物累、無人非、無鬼責。其生若浮、其死若休。」(『荘子」 刻意 第十五)
→聖人は、さかしらな知識を捨て、天の理に従う。だから、天の災いを受けず、物にとらわれず、人に非難されず、鬼神の罰を免れる。その生は水面に浮かんでいるようであり、その死は安らかに眠るようである。

「其生若浮、其死若休」(その生は浮かぶが如く、その死は休うが如し。)
ここに、「浮生(ふせい、ふしょう)」とあります。

日本国語大辞典によりますと、この『荘子』の「浮生」という単語は、不思議な使われ方をし始めます。

------(以下引用)----------------------------
(1)「古今」「後撰」「拾遺」の三代集では「世のうき時」「うき世の中」という表現が多く、まだ熟していなかった。「後拾遺集」以降「うき世」が多用されるようになる、「古今集」ではその時々の「うき」体験を主情的に詠んでいるが、「後拾遺集」になると、この世を「憂き世」と規定し、そのうき世をどう生きるかに主題が移る。さらに進んで平安末期には「いかにせんさらでうき世はなぐさまずたのみし月もおちにけり」<藤原定家>のように、この世は憂き世に他ならないという認識が生じ、宗教的人生的な深まりのなかで多用されていくようになる。
(2)「憂き世」は「浮き」と掛けられることが多く、流れのままに漂う定めのなさを加味している。
(3)「浮き世」は漢語「浮生」と混同されて、定めなき無常の世という観念が付加され、鎌倉末期には不定夢幻の世となり、室町には厭うべき穢土という観念が加わった。そして室町末期になると厭世思想に根ざした享楽思想が発生して「浮き世」と表現されることが多くなり、江戸時代初期には当世、当世流行の意、さらに好色の義も含むようになった。
----------------------(引用終わり)---------
以上、小学館「日本国語大辞典」「うきよ (憂世・浮世)」より。

『驕れる者も久しからず、ただ春の夜の夢のごとし。』
『人間五十年、下天のうちをくらぶれば、夢幻の如くなり。一度生を享け滅せぬもののあるべきか』
『露と落ち 露と消えにし 我が身かな 浪速のことは 夢のまた夢 』
って、ことでしょ?

世界の中の私です。
ハイデガーの言う「世界内存在(In-der-Welt-sein)」ですよ(笑)。

参照:当ブログ 荘子と進化論 その24。
http://plaza.rakuten.co.jp/poetarin/diary/200910260000/

李白のいう「浮生若夢」ってのは、まさに荘子なんです。

Zhuangzi
「人生天地之間、若白駒之過郤、忽然而已。注然勃然、莫不出焉、油然謬然、莫不入焉。已化而生、又化而死、生物哀之、人類悲之。」(『荘子』知北遊 第二十二)
→天地の間で人が生きているというのは、扉の隙間から白馬が駆けるのを覗いてみるようなもので、ほんの一瞬のことだ。勢い良く吹き出たかと思うと、いつの間にやら引いてしまう。生き物はそれを悲しみ、人間もこれを哀れむが、生死というものは、自然のなりゆきで生まれ、そして死んでゆくだけのことである。

Zhuangzi
「夢飲酒者、旦而哭泣。夢哭泣者、旦而田獵。方其夢也、不知其夢也。夢之中又占其夢焉、覺而後知其夢也。且有大覺而後知此其大夢也、而愚者自以為覺、竊竊然知之。君乎、牧乎、固哉。丘也與女、皆夢也、予謂女夢、亦夢也。」(『荘子』斉物論 第二)
→夢の中で酒を飲んでいた者が、目覚めてから「あれは夢だったのか」と泣いた。夢の中で泣いていた者が、夢のことを忘れてさっさと狩りに行ってしまった。夢の中ではそれが夢であることはわからず、夢の中で夢占いをする人すらある。目が覚めてから、ああ、あれは夢だったのかと気付くものだ。大いなる目覚めがあってこそ、大いなる夢の存在に気付く。愚か者は自ら目覚めたとは大はしゃぎして、あの人は立派だ、あの人はつまらないなどとまくし立てているが、孔子だって、あなただって、皆、夢の中にいるのだ。そういう私ですら、また、夢の中にいるのだがね。

ま、頭の中での記憶っていうか思い出なんてものは、夢の中の感覚みたいにぼんやりしていたり、妙にリアルなものです。何年か経って後ろを振り返れば、良くも悪くも全部夢みたいなもんですよね。

“So long ago
Was it in a dream, was it just a dream?
I know, yes I know
Seemed so very real, it seemed so real to me”

ジョン・レノン「夢の夢」より。

参照:YouTube #9 Dream - John Lennon
http://www.youtube.com/watch?v=a7ThzeFA8lg&feature=related

-----(以下引用)--------------------------
ヨーコ  鈴木大拙の授業には、サラ・ローレンスにいた時とあわせ2回、講演を聴いています。そう言うと、私が鈴木大拙さんの弟子だったと思われる方がいるかもしれませんが、そうではありません。ただ、私は学習院(大学)にいた頃にから禅にとても興味がありましたし、
高校のころには鎌倉の禅寺にによく行っていたものです。(中略)ジョンと仏教ですが、彼はとても頭がよくてセンスのいい人でしたから、ちょっと話しただけでもすぐ分かっちゃうんですよ。禅的なものは、二人のなかにもともとあったし、身についていたものですから、(深く習わなくても)すぐに分かってしまう。
-----------------------(引用終わり)-------

参照:オノ・ヨーコ語る
http://www.geocities.jp/thebeatlescometogether/yoko/page1/shinjuku.html

・・・面白いもんです。

今日はこの辺で。


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